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河田小龍生誕地~7話 [龍馬伝 高知]

赤い欄干で知られるはりまや橋で知られる高知県高知市の中心街。

幕末の土佐を代表する画家、河田小龍(かわだしょうりょう 1824~1898)はここで誕生しました。

ハイカラな知識人として知られた小龍。

★「津呂組奥宮捕鯨図」
(室戸市教育委員会 蔵)

伝統的な日本画だけでなく、クジラ漁など新鮮な題材の作品を描きました。

★「神霊矢口渡」
(高知県立美術館 蔵)

歌舞伎絵に西洋の遠近法を取り入れるなど、新しい技法にも挑戦しました。

旺盛な好奇心は「漂巽紀りゃく」(高知県立民族資料館 蔵)
という一冊の本を生み出しました。

アメリカに渡った日本人ジョン万次郎から話を聞き、小龍がまとめたものです。

鉄道や蒸気船、自由な民主社会などアメリカの発展ぶりが記されています。

アメリカの発展振りを知り、開国への思いを強くした小龍、
その志は龍馬へと受け継がれました。

★★河田小龍生誕地
土佐電鉄「はりまや橋」下車1分
タグ:河田小龍
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吉田松陰・金子重輔像~6話 [龍馬伝 下田]

下田は吉田松陰が海外渡航を試みた場所。

嘉永7年(1854年)、吉田松陰は、弟子の金子重輔とともに吉田松陰寓寄処(ぐうきしょ)(蓮台寺)で海外に渡る機会を伺っていたといいます。

しかし、命を懸けた松陰たちの試みは失敗してしまいました。

★ペリー上陸の碑:ペリー上陸記念公園

ペリー艦隊の遠征記録に、松陰たちの行動が書かれていました。

「こうした日本人の気質を見ると、この興味深い国の前途は、なんと有望であることか!」(日本遠征記(了仙寺 蔵))

★了仙寺:旧 七軒町

ペリー一行の休息所となった了仙寺。
当時の話を今に伝えています。

了仙寺住職による日本開国の講話は、年間230件以上の申し込みがあるとか。

吉田松陰の情熱は、今なお人々を魅了しているようです。

★★吉田松陰・金子重輔像:静岡県下田市
伊豆急行線「伊豆急下田」下車
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